'02夏 美ら島沖縄 その9 - 与那国島

8月11日(日)
石垣空港11:20 JTA961 11:50与那国空港
与那国島(海底遺跡, 南牧場, 立神岩, 東崎, 最西端の夕陽, カジキ祭り)
ふじみ旅館

石垣島でシュノーケルをやるのも良いよと、宮古島で教えてもらっていたのだけれど、ダイビング以外にめぼしいところは見つからない。あと二日、一泊どこへ行こうか。いつもなら西表島を目的地として、その前後でいろいろな島を巡るというのが定番であったのだが、西表島に一日だけ行ってもつまらない。今回の旅は八重山の旅始まって以来の、西表島未踏になることが決定した。石垣島のこの状況を見たら、西表島の状況もかなり変わっているのだろう。あえて行かない方がいいのかもしれない。

残る目的地は与那国島。最初に行こうとしていた島に、結局行くことになりそうである。最大の目的は海底遺跡であるから、電話で確認してみる。最小遂行人数5人と書いてあるからだ。すると、今日は町のイベントで貸し切っているので、千円で乗れるとのこと。なんと偶然とはいえこんなラッキー滅多にない。早速飛行機の空席案内を確認すると、往復大丈夫である。宿も一件目で調達できた。ということで、与那国島へ行くことになった。

YS機の引退により、B737で輸送力が大幅に増強されため、日に一便の運行になってしまった。そのためか、与那国島が最近注目をあびているためか、琉球エアコミューター(RAC)が週に3便、那覇から与那国へ、そして与那国から石垣を往復して、那覇に帰るという便を設定している。今日はRACの運航日であったが、夕方の与那国着となるため、午前のJTA機で向かうことにする。それでも11時20分の出発なので、今日はのんびり出発できる。

空港までのバスを待っていると暇をもてあますので、タクシーで空港へ向かうことにする。その前に、汗疹みたいになってかゆいので、薬を買いたいところ。朝早いこともあってまだどこも開いていないが、アヤパニモールの薬局はすでに開いていた。話が好きなおばあがやっていて、薬一つ買うだけで昔もつかまったのであるが、今回もやっぱり30分くらいつかまってしまった。ここのモールの店はほとんどつぶれてしまって、今じゃ観光客相手の店しか無くなってしまった・・・とぼやいていた。石垣島でも、大型郊外店ができており、昔ながらの商店は次々に無くなっているという。

空港に早めに着いたのであるが、到着ロビーが新しくなったせいで、飛行機を眺める所が無くなっていた。どこからも見ることができないのはつまらない。そして、早々とチェックインしたせいか、宮古−石垣に続き、またしても3A席だった。与那国へ向かう便では、進行方向左側、A席を取るべし。

今日の与那国行きの飛行機はがらがら。というのも、金曜日から3日間、カジキ釣り大会が催されている。それと同時に、夏祭りも開催される。もともとは7月に開催予定であったのだが、台風の影響で一ヶ月延びたのである。YS機の超低空遊覧飛行はなくなったものの、B737でも十分遊覧飛行になっていて、黒島や波照間島がよく見ることができる。そして、風向きの関係で今日は西から着陸をするのであるが、前回は島の南側から旋回したのに対して、今回は与那国島を左手に見ながら旋回する。軍艦のような与那国島の全景が見渡せた。

与那国島

こんな小さな島にジェット機が降り立つ時代になろうとは、驚くばかり。空港を出ると、すぐ目の前にあるレンタカー屋でバイクを借りる・・・予定であったが、ぴーかんの青空の下、バイクは暑くて大変である。バイクなら24時間3,000円のところ、車に変更して7,000円になってしまった。車は2台しかなかったが、たまたま空いていたので、借りることができた。

まず、今回の目的である、海底遺跡へのグラスボートの確認をしに久部良港へ向かう。ここで祭りが行われており、この祭りの間、昼間の余興として海底遺跡観光が1,000円で行ける。通常なら人を集めなければならないし、一人5,000円とられるところである。ちょうど港に着いたときに、カジキがつり上げられていた。ざっと100kgは越えている。そこら中が祭りのための駐車場になっているので、車を停めて見に行ってみると、ものの数分のうちにばらばらに解体されていた。まさに職人技、早すぎる。

肝心の海底遺跡はというと、2時間おきに運行されており、次の出発は14時と16時。それならば、14時に申し込んで昼食を食べに行く。すぐ近くにカレーで有名なゆきさんちという店があるのだが、与那国まで来てカレーもないだろう。いつもの割烹どなんで昼食にする。今日はそばを食べて、明日カジキを食べようかなと思ったら、なんとそばにおまけでカジキと鰹とイカの刺身付き。まったく驚きのサービスだ。これだけで500円くらいするのではないか。しかも冷凍物でないからうまい。やはり与那国へきたなら刺身とくにカジキを食べなければ。そばは豚足そばで、これまたすごい量。すっかりおなかいっぱいになった。

今日の宿は、適当に選んだふじみ旅館。ダイビングとは無縁の宿を選んだはずなのに、ダイビング客が多かった。ちなみに、与那国島はダイビングのメッカ。特に潮流が激しいため、上級の人に好まれている。北海道でみつばち族(バイクで旅をする人)とJRer(鉄道で旅する人)はなかなか話が合わないように、沖縄ではダイビングをやる人とやらない人では話が合わない。そのため、ダイビングをやらない人は、ダイビング施設併設と書かれていない宿を選んだ方がよい。しかし、ここはダイビングをする人が良く泊まる宿だったらしい。

宿にチェックインしたら、また久部良港へ戻る。行ったり来たりできるのも、車だからこそ。良い時間になっており、すぐさま乗船した。乗客数は半分くらいが子供で30人くらい。

さて、海底遺跡とは何か。ダイビングポイントを探していた地元の人により発見されたポイントで、海中に人工的に作られたような階段や水路が見つかっている。近くには海中鍾乳洞(鍾乳洞は地上でしかできない)も見つかっているので、昔は陸地だったことがわかっている。ただ、サンニヌ台の様な柱状節理の岩が多い地形であることから、自然にできた物と言えなくもないらしい。現在研究が進められているが、遺跡と断定された場合には、四大文明のはるか前に人類史を覆す文明(ムー大陸の一部?)が存在したことになる。

海底遺跡

今日はまだ波は穏やかな方であるが、最西端の碑を回った当たりから波が高くなり、ジェットコースター状態になった。海底遺跡までは20分ほど、比川集落の少し先の新川鼻というあたりにある。このあたりは波は穏やかで、現在の時刻は干潮にも近く、水の透明度もあり、海底遺跡の特徴である階段のような岩が確認できる。すぐ目の前には断崖絶壁が迫っており、陸地からすぐの所に海底遺跡があるのがわかる。

確かに階段状の岩は確認できるのであるが、グラスボートではいかんせん全体像がつかみにくい。全体像といっても50mもある岩場であるので、潜ったとしても本当の全体は見ることはできないのであるが。ここでシュノーケルを行うコースもあるので、海底遺跡を見てみたい人は、晴天の干潮時を狙って訪れて欲しい。ものの数分で海底遺跡鑑賞は終了し、島の東側を回って港に戻る。与那国島を海から眺めるというのもなかなか良いものである。

あっという間という感じであったが、帰ってきたのは15時を少し過ぎていた。1時間以上かかったことになる。このあとは、車で島内を巡ってゆく。もう、過去に二度も走っているし、前回も晴天だったため、写真も申し分ないできに仕上がっている。従って、別段行きたいと思う場所がなかった。写真に納めていなかった、ミミイシ、ダンヌ浜を見たあと、海底遺跡を地上から眺めようと車で走ってみたのであるが、新川鼻近辺には山になっていてすぐ近くで見ることができない。気が付けば立神岩まできていた。ここまできたら仕方がない。サンニヌ台、東崎と巡ってから、旅館へと戻った。

日本最西端の碑

本日は夏祭りが催されるため、通常18時からの夕食が、15分前くらいから食べられるようになっていた。私らも祭りに行きたいから、早く食べてねとのことだった。しかし、祭りがあるなら、夕食頼まなければ良かった。夕食を食べたら、車でまた久部良港へ。18時からカジキ釣り大会の表彰式が行われていた。日程がずれたこともあってか、参加チームが少ない。釣ったカジキは、揚がるなりさっさとばらされており、表彰式で並べるということもなかった。さすが釣った魚は生きのいいうちに速攻でさばく。やっぱり実重視だ。

参加者以外にはあまり面白みのない表彰式で、途中で最西端の碑を目指す。ここはもちろん、日本一遅い夕陽のポイントである。19時半くらいが日の入り時間なので、1時間前くらいから美しい夕陽が眺められるようになる。19時くらいになると、人がぼちぼち集まりだしてきて、のんびり夕陽が沈むのを待っている。今日も水平線に沈むことはなく、雲の中に消えていった。台湾があるから、水平線に太陽が消えていくことはないらしい。

夕陽

夕陽を眺めているうちに、祭りの会場はカラオケ大会になっていた。町民は誰でも知っている状態だからこそ、このような余興でも盛り上がれる。司会進行は小学校の先生。屋台は売店のみなさん。地元の祭りって感じ。カジキ祭りというくらいであるから、カジキの丸焼きが振る舞われる。100kg以上あるというのだから、一人一人に山盛り渡しても、渡しきれないほどある。さすが、採れたて焼きたてでおいしかった。そして、メインイベントは、大定番の演歌歌手。しかも、13回を数える祭りに半分以上きているそうである。

そろそろ終わりそうかなというところで帰途につく。車は入り口に近いところに停めていたのでなんとか出られたが、会場に近い方にいれていたら、皆むちゃくちゃに車を止めているので、出ることができなくなっていた。当然祭りであるから、車であっても皆酒を飲んでいるだろう。渋滞になる前に、宿のシャワーが混雑する前に、戻ることにする。その前に、真っ暗な最西端の碑に寄ってみた。灯台の明かりだけが闇夜を照らし、降ってくるほどの星空だった。一日ずれていれば、流星群が見られたところであったが、それがなくても素晴らしい星空であった。


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【目次】
出発準備編
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久米島
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石垣島
与那国島
与那国島