'03夏 ベトナムへの旅 その09 - クチトンネル

8月14日(木)
クチトンネル
ホーチミンシティ(統一会堂, 戦争証跡博物館)
Vien Dong

今日は午前中半日のツアーに参加して、午後から市内観光の予定である。ホーチミンシティから車で北東方向に1時間半、南ベトナム解放民族戦線の拠点があったクチを目指す。クチにはアメリカ軍が手を焼いた地下トンネルが縦横無尽に張り巡らされており、会議室、病院など、地下になんでもそろっていたらしい。

今日のガイドさんは、びっくりするほど化粧や服装が日本人並で、茶髪なのにも驚いた。これで日本語がばりばりならば、日本人とみわけがつかないかもしれない。しかし、しゃべってみると、日本語はあまりうまくなかった。車で1時間半は、とにかく走って目的地へ向かうだけ。ハノイのガイドさんはよくしゃべっていたので、長い時間も飽きることがなかったが、今日のガイドさんはあまりしゃべらないので、長い車旅にすっかり飽きてしまった。今日のツアーの参加者は3名で、しかも女性一人旅。本当に大丈夫ですか?って感じだが。1時間くらい走ると、北海道のようなだだっぴろい畑や田んぼが一面に広がっていた。

戦車

クチトンネルはすっかり観光地になっていて、入場料をしっかり取られる。パンフレットには、日本語が表記されていた。お土産などが売られており、値札がついていて、基本的にぼったくりはないようだ。銃の弾のキーホルダーや、戦車の置物などが目を引いた。最初にベトナム戦争に関する日本語のビデオを見させられたが、白黒だし、よくわからないので爆睡状態。気がつけば終わっていた。

そして、そこの施設のガイドさんをつけて、森の中へと入っていく。当時のトンネルをそのままに残して観光として利用している。トンネル内を実際に歩いてみることが出来るが、中が階層化されており、中腰で人一人が通れるほどなので、少しの距離でも大変である。壊された戦車が1970年当時のまま保存されていて、タイヤなどのゴムはすべて草履等に再利用されたそうだ。弾丸や砲弾も、再利用していた。また、落とし穴が再現されていて、落とし穴に落ちたアメリカ兵を仲間が助けにきたところを攻撃するという、いかにもなローテクでアメリカ軍を翻弄していたかがわかる。

今でこそ、屋根をつけて見学し易いようにしてあるが、会議室や病院などはすべて地下に存在していて、地上からは見つけられないようになっていた。1時間くらいで一通り見て回り、まぁどうしても訪れるべき場所とはいえないが、行ってつまらないということもない。時間があれば訪れてみると良いだろう。そのために、往復3時間も車に揺られなければいけないことの方が面倒かもしれない。

クチトンネル

午前中でこのツアーは終わり、13時前には市内に戻ってくる。ホテルに戻っても仕方がないので、統一会堂の前でおろしてもらう。昼休みをしっかり取るお国柄なので、14時にならないと見学できず、どこか昼食でもと思っていたら、ガイドさんが近くのレストランを勧めてくれた。歩き方にも載っている、統一会堂前の通りのレストランである。昼食時でもあるし、地元の方でごったがえしていた。確かに、一人でも気楽に入れそうなレストランであるが、フォーごときで10Kドン(80円)を越える値段にはちょっとびっくり。そこらの安食堂の倍近い。

そこで頼んだ料理はフォー・ボー・タイ。レアビーフを使ったビーフ麺でも高いもの。しかし、来た料理はチキンだった。またやられた。ビーフの値段でチキンを出せば、当然その差額は懐へ入る。もう怒る気にもなれないが、ぼったくりはベトナムの文化、当たり前なのだ。公共施設の人たちのぼったくりが当然なのだから、大衆レストランでぼったくりをしないはずがない。当然といえば当然である。彼らは自分さえ良ければ、ベトナム全体が品格を下に見られようがお構いなしなのだ。まてよ、そういえば、やりたい放題、見せまくり、売りまくりで、外国人からは町中がキャバレーみたいだと言われている国もあったっけ。

統一会堂

結局、高い飯を食べさせられた上、混雑激しくまったく落ち着けなかった。当然外に落ち着く場所はないので、ドンコイ通りをぶらぶら歩き、サイゴン川を眺めて、統一会堂に戻ってきた。統一会堂は、南ベトナムの大統領官邸であったが、無血開城により建物はそのまま残ることになった。入ってみると、ちょうど英語ツアーが始まったところということで、そこについて行くことにした。各階ごとにガイドさんがスタンバイしており、各部屋を説明してくれる。豪華絢爛の部屋はすばらしく、イラクのフセイン宮殿もこんな感じなのだろう。なんて贅沢なと報道されたが、どこの国でも同じようなことはしている。最後は地下へ降り、隠し部屋のような作戦本部にはそのギャップに驚かされた。

戦争証跡博物館

統一会堂のすぐ近くに、戦争証跡博物館がある。建物の改築中のようで、狭い庭にテントをたてて展示品を並べていた。枯れ葉剤による奇形児のホルマリン漬けや、写真の数々に衝撃を受ける。日本でも有名になったベトちゃんドクちゃんの写真などもあり、ほとんどに英語と日本語の説明がつけてある。日本でも戦争の悲惨さを伝える場所は多々あるのであるが、ベトナムは唯一アメリカに勝った国である。いかにアメリカ軍がひどいことをしたか、とうとうと説明されている。この展示を見て、何を思うかアメリカ人。

15時を過ぎて、さて次はどこへ行こうか考えていたところ、南国おきまりのスコールが降ってきた。外を歩いているときでなくて良かったが、結局1時間くらい足止めになってしまった。ホーチミン作戦資料館へ行こうかと思っていたのであるが、16時を過ぎてしまっては、見学できるようなところはない。ドンコイ通りをぶらぶら歩き、夕食がてら最後に生春巻きでも食べようかと、歩き方に載っていたベトナム料理屋に行ってみた。しかしメニューを見てびっくり仰天。一品料理で50Kドン(400円)は下らない。それほどすごい店だとは見えないのだけれど、驚きの高級料理店に入ってしまった。ベトナム風お好み焼きのようなものを頼み、生春巻きは頼めなかった。もうすでに100Kドン札が一枚くらいしか財布の中には残っていない。

ホテルへ一度戻って、昨日も行った近くのCOM屋で再度夕食とする。さっきの店では50Kドンも払ってお腹いっぱいにはならなかったが、ここでは10Kドンで十分である。最後に、ホテルで明日のチェックアウト時間について確認し、18時までなら半日の宿泊料でlate checkoutができるそうである。それならばとお願いした。


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【目次】
出発準備編
出発
ハノイ
ハノイ
ハロン湾
フエ
フエ
ホーチミンシティ
クチトンネル
メコンクルーズ