'03夏 ベトナムへの旅 その1 - 出発準備編

今回ベトナム旅行を思いついたのは3月だった。今度のGWにはどこへ行こうか。正月の北欧で思いっきり散財してきたので、今回は安上がりに行けるところにしたい。それならば、貯まったマイレージで行けるところ、東南アジア方面か。それなら、滞在費も安く済む。行ったことがない国で、そこそこマイルを利用できる国、ということで浮上したベトナムだった。

さて、いつもなら飛行機さえ抑えれば準備完了と言いたいところであるが、ベトナムにはビザが必要である(2003年11月からビザは不要)。歩き方によると、代々木上原駅から歩いて10分ほどのところにあるらしい。大使館は普通の住宅で、まったく気付かずに何度か通り過ぎてしまったが、なんとかビザを申請することができた。今まで数多くの国々をめぐってきたが、観光ビザを取ったのは初めてである。

旅行会社の人が大量に申請していたり、若い女性らが大挙していたり、かなりベトナムブームという感じを受ける。ビザの申請で五千円も取られたが、申請してから10分くらいで完了した。しかしその後4月に転勤となった。どたばた続きでGW旅行どころではないと思っていたところに、SARS騒ぎが勃発した。最初に訪れようとしていたハノイで大変なことになっているらしい。

自分がどうにかなるだけならまだしも、ウィルスをもって帰った時には、今の日本のワイドショー化したマスコミを考えると、大変な事態になりかねない。それでも香港に観光で旅立つお姉さん達には、驚きを通り越してあきれるばかり。マスコミもそんな人たちを取材している場合では無いと思うのだが。国の力で出発を阻止しても良いくらいではなかろうか。

結局、出発の2週間前に航空券はキャンセルした。ホテルを取っていなかったので、キャンセルはそれだけだ。マイレージで手にしたチケットは、五千円か五千マイルを使ってマイル口座に戻すか、一年間有効のオープンチケットとして利用できる。そこで、とりあえずは一年間有効のチケットにしておいた。ビザの有効期限は一ヶ月なので、また取りに行かねばならない。

時は流れて夏休み。一年以内には、この時期でしか再度ベトナムを訪れることはできないだろう。金曜日の夕方出発にしたかったので、休みが取れるかどうかぎりぎりまで粘り、一週間前にやっと夏休みのベトナム行きが決定した。JALの予約は一度キャンセルしてしまったので、オンラインでは取ることができず、電話で予約するしかなかった。

前回純粋にキャンセルの処置がされてしまったらしく、チケットの確認がしたいということで、チケット自体をFAXで送信してなんとか予約を確保した。日付が全く違うのであるが、搭乗区間が変わらない限り、チケットはそのままで良いとのこと。いつもとは違う手続きなら、オンラインでちょこちょこっと取ってしまうのであるが、とりあえずなんとかなって良かった。

となれば、ビザを再度申請に行かなければならない。前と同じく代々木上原へ行ったのであるが、前回掲げられていた国旗が無い。今日は休みか?と思ったが、電話してみるとなんと移転しているとのこと。たった数ヶ月で移転か?と思ったら、その場所自体が仮の場所だった。仮の位置しか書いていないとは・・・相変わらず歩き方の情報は適当である。

電話で場所を聞いて、一つ駅を戻って駅の地図で場所を確認。しかし、これがまた変なところにあるのでなかなか見つからない。猛暑の中、ぐるぐるぐるぐる回って、やっとのことで大使館を見つけた。ベトナムへ行くまでで、なんでこんなにも遠い道のりなのか。最初の出だしから苦労しているのであるが、実際には現地でも苦労が絶えないことになる。

申請に来ている人たちは、前回よりは気持ち少な目。一応だめ元で、前回のビザを見せて変更できないか聞いてみたところ、元々が5月20日までの有効期限であり、8月15日まで必要と確認したところで、手書きの数字を5から8に線を書き足した。そんな適当でいいのか?まぁ大使館員の偉そうな人がやったのだから良いのだろう。しかし、やはり入国時にひともめある。

やっとのことで準備完了、と言いたいところであるが、夜遅くに到着するため、少なくとも最初のホテルは予約しておきたいところ。ぎりぎりまで出発可否を粘ったため、オンライン予約ができる安宿系は確認で数日かかるので無理だった。ハノイでは中級ホテルが$30程度のところ、日航ホテルは$75とのこと。日航ホテルがその値段で泊まれるのなら、一度は泊まってみたいところである。

ベトナムの物価から異様に安い料金になっているのかと思ったが、実は一泊$200を超えるのが通常料金で、今回はSARSの影響で激安になっていたらしい。ハノイの他のホテルも軒並みディスカウントを実施しているようだった。まだまだSARSの余波があるらしい。話によると、その渦中の時は一泊$1という高級ホテルもあったほどすごかったらしい。

今回アジアの新しい国ということで、ベトナムへ行ってみようかと思いたったわけであるが、はっきり言って、若いお姉さん達が、買い物した〜い、ベトナム料理を食べた〜い、アオザイを着た〜い、だけで訪れることはかなり危険である。どこの国でも無防備に荷物をすられる人があとを絶たないが、この国ではその程度では済まされない。お金をぼったくられるくらいで済めば良い方と思って欲しい。

また、何度目かの海外旅行で、英語にもそこそこ自信のある人が訪れる国だと思われるが、そういう人がむしろ危ない。特に女性一人旅。生死に関わることにはならないと思うが、先進国ではないことを強く強く認識しておきましょう。未だに戦後の混乱期が続いているといった感じだし、何から何まで常識が通用しない。すべてにおいて注意が必要である。

タクシーに乗ったら、目的地に着くか、トランクの荷物はなくなっていないか。レストランに行ったら、注文通りの物が出てきたか、注文していない物が付け足されていないか。歩いている時は、バイクタクシー、シクロからいかに逃げ切るか。公園で椅子に座っている時でさえ、物売りをいかにあしらうか、貴重品をすられていないか、常に確認しながら行動しなければならない。

全てにおいて戦いであり、生きるか死ぬかのぎりぎりを生きている彼らと戦うことは、こちらもかなり苦しいことである。どこまでが危ない人で、どこからが友好的な人なのか、判断することは非常に難しい。全てに警戒していると、何しにこの国を訪れたのかわからない。しかし、そんな悠長なことは言っていられないだろう。まずは疑ってかかること。

そういった状況を踏まえ、籠に入れられてフリーの無い、全ておんぶにだっこのツアーに参加するか、個人レベルでできるODAと割りきって、無事に帰れることがすばらしいことと思えるのなら、行ってみても良いでしょう。宣伝だけでは得られない、生々しい情報をたくさんちりばめているので、ベトナムへ行ってみたいと考えている方は、ぜひ一度読んでみてから計画を立ててみてください。

ベトナム戦争について

ベトナムの歴史は案外長く、日本と同じくらいかもしれない。中国に支配されたり独立を繰り返したり、動乱の時代が長かったようだ。そして、1802年からフエを首都とする阮(グエン)朝が始まった。しかし、それも束の間、三代目からは事実上フランスの植民地となり、形だけの王朝が第二次世界大戦終結まで続くことになる。そのつい200年前の王宮群が、世界遺産に指定されている。

第二次世界大戦が終わったとき、進駐していた日本軍は、北部を中国が、南部をイギリスが武装解除を行うことになった。朝鮮半島と同じように分断されたのである。この期に乗じてフランス軍が進軍し、南部は再びフランスの支配下となった。そして、北部ではホーチミンが蜂起し、南部のフランス植民地主義と戦いを開始。長いベトナム戦争へとつながっていく。

北ベトナムは強く、フランス軍は徐々に消耗していった。そして、アメリカに依存するようになり、ケネディ大統領の時代に、ついに本格的な軍事介入を行う。北ベトナム(ソ連・中国)対南ベトナム(フランス・アメリカ)。社会主義対民主主義の代理戦争といわれる戦いだが、なんのことはない、民族の独立戦争だった。そのため、南ベトナム内でも「南ベトナム開放民族戦線」ができ、これがいわゆるゲリラとなる。

アメリカ軍は、このゲリラに手を焼き、枯れ葉剤攻撃、毒ガス攻撃の卑劣な攻撃を、ゲリラの拠点だけでなく、北ベトナムにも行った。それでも収集がつかず泥沼化したあげく、パリ協定が結ばれ、アメリカ軍が撤退することになる。そして1975年に、南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミンシティ)が陥落。ついにベトナム戦争は終結し、1976年にベトナム社会主義共和国が誕生した。たかだか30年前の話である。


戻る |

【目次】
出発準備編
出発
ハノイ
ハノイ
ハロン湾
フエ
フエ
ホーチミンシティ
クチトンネル
メコンクルーズ