'06GW メキシコへの旅'07夏 ペルー世界遺産の旅




8月10日(金)
Ica17:30 22:15Lima23:30 CO591
8月11日(土)
6:04Houston(George Bush Intercontinental)10:50 CO007
8月12日(日)
14:20東京(成田)

戻ってくるとすぐにバスに乗り込んで、すぐさまリマヘ戻る。もうこの時間ではレストランで夕食を食べられる時間は無く、空港に直行するしかない。バスで5時間かかることを考えると空港に到着するのは出発の一時間前で、夕食を取れるかどうか以前に飛行機に乗れるかどうか怪しい時間になってきた。こうなることも予想して、昨日売店でおやつを買っておいて良かった。たぶん、こうなることが多いので、最後は日本食にして弁当にしてもらうことができるようにしてあるのだろう。やっぱり、最初から日程的にかなり危うさがあると思っていたが、予想的中だ。

行きにも停まったガソリンスタンドのトイレ休憩は、時間を区切らず済み次第出発。この時点で20時。昨日と同じ時間で走っていて、昨日は空港からここまで2時間半かかっているから、やはり予想どおり一時間前の到着になるだろう。夜になって町中の渋滞が少し無かったためか、予想よりちょっと早い22時15分に空港に到着した。それでも時間がないのは変わらない。スーツケースの荷物を整理する時間もなく、液体物だけスーツケースに詰め込んで、早々にチェックインをすませる。もうチェックインも最後のようで、二人組も席はばらばらで真ん中席ばかりしか残っていなかった。チェックインさえ済ませれば、あとはなんとか待ってくれるだろう。

ここで夕食代わりの弁当を受け取るが、もう食べている時間はない。お弁当と一緒に水ももらうが、液体を機内持ち込みできないのに、ここでもらっても捨てるだけ。毎日もらう水が丸々余ってもったいないと思いながら捨てたばかりなのに。国際線の空港税はまたしても中途半端な額で、関空は世界一と言われていたが、そんなの目じゃないというくらいのUS$30.25ドル(3,630円)。US$30とS/1出すと、細かいお釣りをジャラジャラくれた。今更、しかも1センティモ(0.4円)硬貨なんて使い道ない。

出国審査、X線検査も順調に進み、ゲート到着はまさに30分前だった。行きのヒューストン乗り継ぎと同じようにもう搭乗が始まっていたが、なんとかギリギリセーフ。最後の余韻を感じることもなく、最後のお土産を買う時間もなく、ソルも微妙に千円分くらい残ってしまった。最終日っていうのは、やっぱり余裕をもってリマ市内観光とかにしておいて欲しいものだ。

最後に搭乗前に、荷物は自分で詰めたか?と聞かれたような気がするが、あまりにも早口で何言っているのかわからない。英語がわからないんじゃなくて、おまえのしゃべり方がわからないんだ。もう、何度言ってもわからない人ねぇ、と愛想のない対応をされてしまった。相変わらずアメリカ人は常に上から目線で、サービス業という意識が全く無くて頭にくる。

飛行機に乗ってからやっと弁当を食べるはめになり、かなり気まずい状態だった。機内食がすぐに出るので、ほとんどの人は弁当を食べもしなかったらしい。弁当と機内食を食べたら爆睡で、もうすぐ着陸ですというアナウンスで目が覚め、ほぼ定刻の6時に到着した。入国審査も無事に済み、次の乗り継ぎ便まで早すぎてゲートの表示がまだないが、予想されるあたりで一端解散した。

買い物といってもアメリカの免税店はおもしろいものがないので、朝食を食べるくらい。適当に取ったら$12(1,440円)もするし、指差し買い物で、見えないからわからないよーまったくもー、なんて客に対して言うのはアメリカ人くらいだ。本当にアメリカ人の客対応の悪さには頭にくる。

ヒューストン空港5時間近くひたすら待つ。リマの慌ただしさに比べたら、ここの暇さといったら比べるまでもなし。係の人がゲート前に立ち始めたら、緑のカードのことを聞いてみた。渡しそびれて二枚あると言ったら、何も言わずに二枚とも受け取ってくれた。その後、アナウンスでも緑の紙を持ってきてくださいと言っていて、ここでは搭乗時ではなく、先に回収していた。

さて、予定通りに出発するも、なんだかトラブルがあるとのことでゲートに引き返す。最初はコンピュータトラブルとのことで、調査を行いますとのことだった。寒いくらいだった室内は空調が止まり暑いくらいになった。冬のペルーから真夏のアメリカに帰って来ているので、外は30度はあるだろう。電気が完全に消えて、コンピュータが完全にリセットされ、ほどなくしてタイヤの温度を伝えるシステムに以上がある?とかで、修理に30分ほど待てとのこと。このやばさかげんはやっぱりアメリカの航空会社だよなぁと思う。定時運航率2/3はダテじゃない。これが行きの飛行機で発生していなくて良かったと思うばかりである。

結局、一時間半遅れで出発した。無事に飛び立っても13時間の長丁場だ。西向きのフライトの場合、基本的には起きて映画を観たりゲームをしたりしたいところだが、行きとは違うシステムでゲームがつまらなくて、寝てばかりだった。そして、アラスカ上空でなぜか気圧が猛烈に下がり、またしても腕時計の高度は2,000mを示している。本当にこの飛行機大丈夫かよと思ったが、なんとか無事に一時間遅れくらいで成田空港に到着した。成田に着いたとたん、猛烈な熱波にペルーがいかに涼しかったかと思い出される。しかも翌日からさらに猛烈な暑さで、砂漠の上より遙かに熱く感じた。

なんだか今回の旅は最後がメタメタで、全体的にいまいちという感じになってしまった。やっぱり、終わりが良くないと、全て良しとはならないものだ。ただ、今回は誰も重い高山病にならず、普通に帰国できたのは奇跡的だったのかもしれない。

ところで、今回はこれだけでは終わらない。なんと、帰国して数日後、イカを中心にしてM8.0の大地震が発生した。一週ずれていたら、プーノのホテルに到着したくらいで、地震に巻き込まれてはいなかっただろうが、ナスカに行くことはできなくなっていただろう。なんとも絶妙な運の良さを感じてしまった。

今回の旅は、南米大陸へ行くという大目標で選んだだけあって、マチュピチュも良かったが、日本に対するアジア諸国のように、アメリカに対する南米諸国という構図ができあがっていることを実感できた。つまり、日本から東南アジアへ行くように、アメリカ人は同じ感覚で南米へ行くのだ。ペルーは若干テロの脅威があり、治安も良いとは言えない国ではあるが、べらぼうにどうしようもない国という訳でも無く、食事の衛生状態も良いし、フジモリ大統領の人気度も高く日系人や親日派も多い。ただ、あまりにも遠いので、費用対効果からすると、どうしても行くべき国とお勧めできないのがつらいところだが。


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