'06GW メキシコへの旅'07夏 ペルー世界遺産の旅




8月7日(火)
Cusco6:00 9:45Aguas Calientes Machu Picchu
マチュピチュ遺跡
Machu Picchu Aguas Calientes15:55 19:20Poroy Savoy Hotel Cusco

本日はいよいよメインイベントであるマチュピチュへ向かう。マチュピチュまでは道が無いので、個人でもどんなツアーでも列車で向かうことになる。クスコからマチュピチュまで列車は一日3往復あり、列車ごとに帰りの列車が指定されているのだが、ツアーだからか行きと帰りで列車が違う。ほとんどの列車は同じ時間に出る。その中でも一番早い6時の列車に乗るため、ホテルの出発は5時半で、モーニングコールは4時半だ。なるほど、朝の4時半から朝食が食べられるわけである。エジプトと逆で、日に日に出発時刻が早くなる。

朝起きれば頭のもやもや感もはれ、高山病も心配無さそう。それでも、動き始めると数歩で息が切れるので、やっぱり高山に慣れたという訳では無さそうだ。朝食もしっかり食べるが、腹八分目というか、いつもの半分くらいでもういいやという気になる。どうやら、胃があまり食べ物を受け付けなくなるようで、すぐにお腹一杯になるが、その分すぐにお腹が減る。なので、おやつを持ち歩くと良いだろう。高山病がひどい人は、もうこの辺りで辛くなるそうだが、マチュピチュはここより低地にあるので強引に連れて行くのだとか。今回は全員元気に出発。

ペルーレイルバスで10分のサン・ペドロ駅から列車に乗車する。まだ周りは真っ暗で、列車は暖房も無いのでかなり寒い。昨日買っていたセーターやらマフラーが大いに役立つ。何と言っても、昼にはまた真夏の暑さになるのだから、その暑さの中歩き回れるような格好になれるように、一番下にはTシャツを着て、長袖、セーター、トレーナーと重ね着をしておき、足にはマフラーをかけておく。

客車ではなくディーゼル車の5両編成で、駅を出るとスイッチバックを繰り返しながら、一気に標高を上げていく。まさにクスコ市街が盆地にあることが良く分かる。列車が出発するとすぐに日の出となり、列車の進行方向左手にクスコの町並みが見えてくるようになる。スイッチバックで山を登って行くので、常に同じ側に町が見える。昨日行った標高と同じくらいの山を登り切ると、今度は一気に下りに入り、山岳路線から普通の山間の田舎の風景になる。50分ほど走ると、最初の停車駅ポロイ駅だ。小さな駅でぼろい駅かと思ったら、Poroyだった。

しばらくは山間の風景で、軽食が配られるが、朝食を食べたばかりだしとても食べられるものではない。なので、軽食としてパンは持って行く。列車はさらに山を下って行き、途中でもう一回スイッチバックをして、オリャンタイタンボ駅に到着した。JTBのツアーだと、このあたりに泊まるようだ。ここからかなり多くの観光客が乗車して来た。まだこれで半分位の距離。4時間とはなかなか長丁場だ。そして、すっかり列車の旅にも飽きた頃、ほぼ定刻にマチュピチュへの玄関口、アグアス・カリエンテス駅に到着した。近くに温泉が沸いているからこの駅名なのだが、どこにでもこの”温泉”だけの地名がある。

随分山を下ってきて、標高は2,000m、富士山9合目から5号目まで下ってきたことになる。このあたりまで降りてくると、高山病の心配もほとんど無いらしい。列車を降りるとお土産屋を抜けて、バス乗り場からすぐにバスに乗車する。団体専用というものはなくて、人が集まり次第どんどん出発して行く送迎バスだ。

右に左にぐねぐねしたハイラム・ビンガム・ロードを登って行くこと30分、実に400mも山を登り、段々畑の石垣が見えてくると、マチュピチュ遺跡の入り口である。右側の荷物預かり所でセーターなど冬物は預け、Tシャツ一枚になる。荷物預かりは、一袋S/4(160円)。長袖だと暑いかなと昨日買ったTシャツを着てきたが予想的中。直射日光が照りつけてむちゃくちゃ暑い。

入場門を入るといよいよ遺跡が目に飛び込んでくる。山の上に突如現れる遺跡の町並み。周りを山々に囲まれ、まさに空中都市といった趣である。ラピュタの風景そのものと言ったところか。単なる遺跡なのに不思議な雰囲気を感じるのは、やはり周りの山々との複合的なところが、そんな感覚を覚えるのだろう。イタリアのポンペイ遺跡の方がはるかに歴史はあるはずなのに、それよりもすごい印象を与える。坂道を登るのも若干息が切れるが、高山というより運動不足かもしれない。

マチュピチュ全景少し山を登ったところが展望台で、まさにマチュピチュの写真といったら、ここという場所だ。インカ時代の聖なる動物、ピューマの顔を掘った山と、コンドルを模した山、そして川の蛇がそろっている。まさに聖なる場所で、高野山のような神様のための宗教施設だったのだろうというのが一般的だ。そして、この町で生まれ育った子供は、成人するとインカ道を通って各町の指導者となったそうである。

太陽の神殿全景が見える段々畑で一通り説明を受けた後、坂道を下って町の中へと入って行く。インカと言えばぴったり積み上げた石垣が有名だが、このあたりはあまりぴったり石が組み上がっていない。それは、神殿など重要な施設ではないからだろう。上から眺める太陽の神殿は、めずらしい曲線に積み上げられた石組みがかなり精巧にできている。

全景コンドル石切り場を通って、三つの窓の神殿、主神殿などを見てインティワナタへの丘を登っていく。普通にこのまま歩いていたら気づかないところだが、ガイドに促されて反対側を見てみると、マチュピチュの逆から見た風景が広がっていた。右側を頭にして、コンドルがひっくり返って羽を下にしているように見える。これは、気づかないとなかなか気づかないもので、言われて見え出すと何度でもそう見える。アハ体験ってやつか。ワイナピチュに登ると見える景色でもある。なんとも、あちらこちらにコンドルが現れる。

インティワナタインティワナタとは、太陽をつなぎ留める柱という意味の石で、この頃の時代の遺跡はご多分にもれず、夏至の日と冬至の日を正確に表せるように太陽の光をうまく使っている。太陽の神殿も、三つの窓の神殿も、主神殿脇にある道しるべも冬至の日には影がピューマの形を作るし、インティワナタは冬至と夏至の日の影の位置が石に刻まれている。さらにこの石に手をかざすと、不思議なエネルギーを得られるとかで、昔ガイドの目の前で火花が散った人がいたそうだ。どうやら、静電気をためやすい石のようだ。

パチャママの神殿広場にはリャマが放牧されているが、遊ばせてくれないまま素通りし、折り返し地点のパチャママの神殿に到着した。ここには聖なる岩があり、右を頭にピューマのようで、左を頭に魚のような石が立っている。また、復元された茅葺き屋根の家があり、風で飛ばされないように石の出っ張りを利用して蔓で結んでいたという。もちろん、創造でしかないのだが。雲一つない晴天で、直射日光がさんさんと降り注ぐ沖縄のような日差しだったので、すっかり歩き疲れた感じだが、まだ半分の地点だ。

それにしても、Tシャツ一枚で歩いていたから、かなりあちこち虫に刺されてしまった。山奥なので虫が多いとは聞いていたが、おそらくブヨのようなものに噛まれたのだろう。いつのまにか血が垂れていたりするからびっくりする。ガイドさんは携帯の蚊取り線香を持っていたが、う〜んこれが効くかどうかはわからない。噛まれたところは次の日から痒くて痒くて仕方がなく、帰国後も一週間くらい痒みが止まらなかった。マチュピチュには、虫除けスプレーとかゆみ止めを必ず持って行こう。

コンドルの石しばらく休憩した後は、住居区を通ってコンドルの石へ。コンドルが翼を広げたようにV字型に石を削っていて、その翼の部分にはミイラを安置して祈っていたという。そこには牢獄もあり、手を縛られていたという説が横行しているが、どうやら扉をつけるための穴だったというのが有力だそうだ。あちらこちらに地下室への入り口が見つかっているのだが、一度地下に入り一週間後に戻ってきた人の手には黄金のトウモロコシがあったそうで、インカの財宝が眠っている可能性が高い。しかし、ほとんどの人は入ったきり戻ってこないそうだ。今なお調査されず、謎のままである。

陵墓太陽の神殿、王女の宮殿のあたりは石造りが精巧で、ぴったり石が積み上がっている。そればかりでなく線を引いて石を組み合わせたようにみせる手法も多く取り入れられている。イースター島でもみられたぴったり組み上げられた石組みは、インカの人々がスペイン軍から逃げ延びた結果、イースター島に流れ着いたと考えると、時代としてぴったりあっているのではなかろうか。

一通り巡ってきたら、ついにマチュピチュともお別れである。おおむね3時間くらい遺跡を見学してきたことになる。日帰りではぜんぜん時間が足りないということもなく、これだけで十分おなか一杯だ。もちろん、自由時間がなかったり、マチュピチュを反対側から見るワイナピチュや、インカ道を登ってマチュピチュ全体像を見る太陽の門など、特別な想いがあるなら何泊もしないといけないだろうが、そこまでしていろいろみて回らなくても十分満喫できた。

昼食は入り口近くにあるホテルのレストランで、またしてもバイキング料理。ペルーの名物料理はないのかねってくらい、朝、昼、夜とバイキングばかりで、いまいち食事の楽しみがないのが残念。高地であまり食べられなくなる人のことを考えて、どっさり残すよりもバイキングの方が良いのかもしれないのだが。昼食が終わると、14時半にバスで山を下る。

歩き方にはいなくなったと書かれているグッバイボーイが健在で、曲がり角のたびに子供がバスの前を走って行く。何語をしゃべっているのかはわからないが、ケチュア語のようだ。赤い服を着た子がこのバスの専属のようで、もう一人黄色い服を着た子も一緒に待っていたのだが、どうやら次のバスの専属だったようだ。最後に、バスに乗車してきてチップをもらう。ただ山を下るだけでチップがたんまりもらえるのだからおいしい商売とも言える。もちろん、山を登る時は、バスに乗せてもらっている。

ペルーレイル列車の出発時刻までまだ時間があるので、30分ほどお土産屋をひやかしてまわる。昨日の民芸品店に比べると、あまり値引き率が大きくないが、いろいろな物を売っているのでお土産はここである程度そろえると良いだろう。帰りの列車は客車列車で6両編成。たった3時間の観光のために往復8時間もかけるのは正直しんどいが、今日はマチュピチュが目的地だからまだ良かった。

帰りの列車の軽食はデザートだけだったので、行きの列車で食べなかったパンと、有料S/6(240円)のビールを飲む。これだけ歩いたら、やっぱりビールを飲みたくなる。この高度でビールを飲むのはそんなに問題ないが、若干アルコールが回りやすくなっているのだろう。

リャマ使い途中駅オリャンタイタンボ駅を出ると、ファッションショーが開始される。各車両には男女の車掌2名とお手伝い係の計3名が乗っているのだが、最初にリャマ使いが現れて大はしゃぎ。ほとんどの人が疲れて寝ているが、それを起こして回っていた。その後、車掌がアルパカのセーターなどを着てファッションショーとなる。これらは単に暇つぶしにやっているのではなく、アルパカ製品を販売するのが目的だ。民芸品店で売っているような手編みのセーターとは程遠く、品質は良さそうだがどうみても高そうだった。すっかり夜も更けて、列車は真っ暗闇を進む。カーブになると機関車のライトだけが見えて、銀河鉄道の夜みたいだ。今日は新月ということもあって、星がきれいに見えた。

クスコの夜景そして若干遅れてポロイ駅に到着した。ここからクスコまで列車で行くと1時間かかってしまうが、バスなら20分ということで、大概のツアーはこの駅にバスが迎えに来るそうだ。山をひとつ越えてクスコの町の夜景が見えるポイントで一時停車。クスコの街もきれいだし、星も良く見えて天の川や南十字星が見えた。

ホテルには20時ごろ到着し、これから外に食べに行くのも大変なので、ホテルのレストランで夕食となる。マチュピチュでは高山病のもやもや感は感じなかったが、クスコに戻ってくるとまたもやもやし始めた。それでも、昨日に比べるとぜんぜん楽なので、ビールを飲んで今日を閉める。今日はビールのおかげか歩いて体が疲れたせいか、とりあえずぐっすり眠れて、明け方に一回起きただけで済んだ。

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