'00夏 のんびり沖縄離島の旅 その3 - 鳩間島

8月16日(水)
鳩間島(尾良浜、島仲浜、北の浜シュノーケル)
民宿星空荘

あまりの日差しの強さに目が覚める。鍵をかけるどころか、普通の家を民宿にしているオープンな家で、昨日も真夜中に帰ってきたら、みんなドアも窓も開けっ放しで寝ていた。クーラーが無くても風が吹き抜け、快適だからだ。同宿の大学生は鳩間島がいたく気に入り、夏休みぎりぎりまで、あと二週間の滞在を決め、民宿の手伝いをやることでタダでおいておいてもらえることになったらしい。時間があれば、こういう生活も楽しいだろう。

朝食を食べて、ぐだぐだしている。別段急いでやることもないし、のんびりすることこそがここ鳩間島流。しかし、子供達皆がてきぱきと洗濯したり掃除したりが始まったので、お出かけすることにした。午前中は、島をぶらぶら写真撮影である。

島の集落を抜けて、時計回りに歩いて行く。そこにはレンタサイクルの文字が。かき氷屋もやっているし、島の6つのビーチを回るには自転車が一番なんて書いてある。その裏では工事中の場所があり、また新たにペンションを建てる予定だとか。ビーチだのペンションだの、鳩間島にもついに観光化の波が押し寄せてきたらしい。

尾良浜

海水浴場と名が付けられている尾良浜は、本当に小さな砂浜である。これでも海水浴場になってしまうのであるが、基本的に誰も泳いでいないので、写真を撮るにはもってこい。そして、すぐに昨日シュノーケルをした海岸に出る。朝早いこともあり、誰もいないと思っていたが、しっかり人がいた。現在はほぼ満潮の時間なので、写真を撮るには良い時間帯。干潮の時では、浅すぎて海がきれいに撮れないのだ。

なんだかんだぶらぶらして、集落に戻ってきたのは、まだ10時半。島をぶらぶら歩いても、2時間もかかりやしない。桟橋が見える堤防の上でのんびり寝ていると、11時を過ぎて西表島から郵便船がやってきた。通常は11時に西表島の上原を出るのだが、今日は11時過ぎには着いていた。今日はちょっぴり早めらしい。相変わらず、適当な八重山タイムだ。

鳩間島への公共交通機関は、週3便のフェリーしかないが、ここ鳩間島には簡易郵便局があり、郵便物を配達、収集するために、平日は毎日西表島から船がやってくる。この船に便乗して鳩間島へ渡るというのが、八重山を旅する人には常識になりつつあったのだが、最近ではこの噂が広まりすぎて、片道千円取るようになってしまった。しかし、何も言わなければ払わなくてもいいみたい。なんにしても八重山の人はアバウトだ。

郵便船

今日便乗してきた人は一名だけ。郵便局委託のおじさんは、後ろのドアが開けっ放しの軽ワゴンを使い、桟橋から徒歩1分の郵便局まで車で往復して、船は西表島へ帰っていった。帰りの船には数名乗っていたので、現在の島の人口は数%減ったであろう。

12時前になって宿へ戻ってみると、新しいお客さんがいた。先ほど郵便船に乗っていた人だった。神奈川県の先生で、毎年西表島へ通い詰め、ついに今年は鳩間島へきたそうだ。昨日宴会で一緒だった別の民宿の人もそうだったが、何度も八重山を訪れたあげくの最後に訪れる島が、ここ鳩間島になるようだ。それだけ交通の不便な島だし、八重山を旅する人たちのあこがれの地なっている。それにしても、八重山を旅する人に、先生が多いのは気のせいか。

お昼を食べたら、午後は海で泳ぐことにする。泳ぐだけならどこでも同じであるが、シュノーケルをやるとなると、北の浜が一番良い。今日は短めに泳ぎ、のんびり砂浜の岩場の陰で昼寝する。そうして、16時には宿に戻ってくる。なんだかすごい生活だ。まさに3食昼寝付き状態である。そういえば、昨日島の先生が体験学習で子供たちが石垣島発16時の船でやって来ることになっていると言っていたっけ。

高速艇

16時半くらいに桟橋が見える防波堤でのんびり寝そべっていると、なんと水しぶきを上げて高速艇がやって来るではないか。そして、子供たちを降ろした後、西表島へ向かっていった。いろいろ聞いた話を総合すると、5人以上集めれば石垣島から西表島船浦へ向かう船が、鳩間島にも寄ってくれるそうだ。運輸省認可の公共交通機関がそんな事やっても良いのだろうか? 八重山のアバウトさからすれば、そんなことは序の口かもしれないが。

昨日宴会をしたヨットのおじさんも、船浦から船に乗って、うとうとしていたらすぐに桟橋について、石垣島にしては近いなと思ったら鳩間島だったという話をしていた。週3便しかフェリーのない、完全な孤島というイメージでいたのであるが、案外島民は、石垣島と行き来しているようだし、ここ鳩間島でも西表島と変わらない生活をしているようである。ちなみに、水道、電気は西表島から引いており、昭和57年、当時国土庁長官だった小渕さんの名が書かれた水道管建設記念碑が、公民館の前に建っている。

宿に戻ってきて、これまたびっくり。今日は昨日の大学生を含めて宿泊者は3人だけだと思っていたら、なんと先ほどの高速船で来たおばさん二人連れ。なぜ今時分に来る人がいるのかわからず、しかもどうも話が合わない。ゆくゆく話を聞いてみると、宿を決めずに西表島行きの船に乗り、降りたところで宿探しをしようとしていて、船を降りたら実は鳩間島だったらしい。たまたま運悪く経由便に乗ってしまったのと、子供達が一気に降りたので、つられて降りてしまったようだ。

西表島まで宿の船で送っていきましょうかと宿の人が言っていたが、翌日朝に西表島で他の人と合流すればいいそうなので、翌日に送ってもらうことにして、今日は宿泊することになった。ということで、今日の宿泊者は5人になった。一人は宮古島出身で、島に成っている果物や植物など、さすがによく知っている。最近出回り始めたサボテンの実であるドラゴンフルーツも食べさせてもらった。キウィのような味がして美味である。一つ数百円で売っており、空港の売店でも売っていたので、おみやげに是非。

また、沖縄のアメリカ占領時に、積極的に大和言葉(標準語)を取り入れる政策が行われ、さらに若い人は積極的に大和言葉を使うようになってしまったため、今ではすっかり土地の言葉が無くなってしまったことを嘆いていた。こんな土地の話を聞けたのも、良い経験であった。

夕食の後はそのまま5人で宴会となり、夕食でかならず出る泡盛に加えて、次々に皆出してくるビールやらなんやらで、かなり酔っぱらった。そんな中に顔を真っ赤にしたおじいが帰ってきて、さらに盛り上がる。最後にはおじいの三線が始まり、なんとも楽しく夜は更けていった。


| 戻る |

【目次】
出発
鳩間島
鳩間島
鳩間島
西表島
西表島
西表島
帰宅