今日はとてつもなく早い。朝早いというよりも、夜遅いのかもしれない。なんと、モーニングコールが2:45。3:30に荷物を出して、4:15に出発。にもかかわらず、朝食が食べられるという。なんと24時間営業とのこと。バスに乗って50分、5時にカイロ空港に到着した。ホッサンさんは朝の礼拝のため、トイレで足を洗っていた。イスラム教徒は手も足も洗ってから、お祈りする。だから、高級ホテルには風呂場にトイレのような足洗器が必ずあるのだ。ちなみに、お祈りの時間は4:30、13:00、16:30、日没、就寝前の5回行うのだが、その時刻以降次の時刻までの間に行えば良いそうなので、ガイドの仕事をしながらでも時間を見つけてお祈りが出来るとのこと。今日だけ特別に早いので、お祈りしてから仕事開始ができなかったのだ。
同じエジプト航空で到着したHIS組は、朝のお弁当片手に集まっていた。JTBのツアーのホテルで食事ができたのはまさに奇跡的だ。一緒にルクソールへ向かうのかと思いきや、アスワンへ向かうようだ。今日は一気にアブ・シンベルまで行って、午後にアスワン観光なのだろう。同じ現地の旅行会社を利用しているようで、JTB以上のハードスケジュールだ。今になって思えば、このJTB日程でも大変だったのに、HISの超ハードスケジュールはあり得ない。HISでは、本JTBの日程に加えて、ルクソール〜アスワンの間にあるホルス神殿にまで行っている。
朝一番のフライトに乗り込み、ルクソールへ向かう。ルクソールが近づいてくると、砂漠というよりもグランドキャニオンのような大地が広がっている。何千年もかけてナイル川のところだけ谷になったようである。その幅は半端なく広く、そこだけ緑が広がっているのも不思議な光景である。空港に着いたら、そのままバスに乗って観光へ出発。スタートは7時半だから、普通にルクソールのホテルに泊まっていたみたいだ。何でこんなに早い時間になってしまったかと言えば、日陰が一つもないルクソール西岸を涼しい午前中のうちに行くため。
ルクソールは昔テーベと呼ばれていた。エジプトの歴史は、紀元前3000年頃の南北エジプトの統一から始まっている。初期王朝時代を経て、昨日訪れたメンフィスに都を置いたのが古王国時代で、紀元前2600年頃である。この時代は、ピラミッドを造り続けていた時代である。中王国時代を経て、紀元前1500年頃の新王国時代の都が、ここテーベである。古王国時代で有名なファラオ(王様)は、一番大きなピラミッドを造ったクフ王であるが、像などの建造物が一番多く残ってる有名なファラオは、この新王国時代のラムセス2世である。その後、ツタンカーメンの墓がほとんど盗掘をうけずに見つかったため、今ではそちらが有名になってしまったのだが、若くして亡くなったのであまり建造物は残っていない。
墓としてピラミッドを造ると、泥棒に狙ってくださいと言わんばかりになってしまうので、この時代には山に穴を掘って墓を作った。(それでも盗掘にあったのだが)それが王家の谷であり、ピラミッドコンプレックスと同様、ミイラを作成した葬祭殿もあちらこちらに残っている。ナイル川の東側が生であり、ナイル川の西側が死であるということで、東側に神の神殿が、西側に葬祭殿と墓が造られた。
その西側にこれから向かう。昔はナイル川を船で渡っていたそうだが、今では橋が架かっている。しかし、なぜか町からかなり離れた南側にある。町の景観を守るためだと言うが、それにしても遠すぎる。町の目の前に山がそびえているのが見えるというのに、かなり遠回りして30分かけて王家の谷に到着した。バスを降りて電気自動車に乗り換えるが、数分だけで歩いてもたいした距離ではなかった。まさにあちらこちらに墓の入り口が点在している。なぜ同じ場所に墓が集まっているのかと言えば、山の上の方を見るとピラミッドのような山が見える。これが人口なのか自然なのかわからないが、三角は神聖なものであるから、その三角が見えるところに墓を造ったとのことである。

一枚の入場券で3カ所まで玄室に入れると言うことだが、本ツアーではその中から選ばれたというか入り口に近いところというか、ラムセス4世とラムセス9世の玄室に入る。ラムセス4世の玄室はまっすぐ伸びたいわゆる通路といった感じでいまいち。どうやら、観光客がよく入るのはラムセス6世の玄室だが、そちらが今は入れないか何かでこちらになったのだろう。それに対して、ラムセス9世の壁画の素晴らしいこと。通路から玄室に至るまでアクリル板で覆われているが、壁画がずっと続いている。
ちなみに、今ではガイドの玄室内での説明禁止、カメラの利用禁止という超厳しい状況になっている。昔は薄暗い中でペンライトを使って説明していたようだが、文化財保護という点を考えると、強烈な強い光を勝手に当てられるより、ライトをある程度計画的に配置しておいた方が良い。また、フラッシュ禁止というのに、日本人がフラッシュの止め方わかんな〜いと、フラッシュをばんばん使ってしまった結果であろう。
そしてメインはやっぱりツタンカーメンの墓である。ここだけは別料金で、なんと驚くべき料金で70£E(1,400円)もする。エジプトの物価を考えればびっくりする料金である。しかし、ここは入らないわけにはいかないだろう。チケットを買った人だけ中に入り、入らない人たちは他の玄室をゆっくり観たりする。ここではカメラを持っていたら入り口で預けなければいけないほど徹底していた。

ほとんどの墓が盗掘にあい、財宝などはほとんど残っていなかったのだが、このツタンカーメンだけは奇跡的に盗掘を免れていた。それは、ツタンカーメンが若くして王になったものの、即位5年で亡くなったため墓自体が小さかったことと、ラムセス6世の墓を造る際の土砂が入り口の前に積まれていたからという理由もあるようだ。ちなみに、ツタンカーメンが若くして亡くなった理由は、馬車から落ちて事故死したという説が有力である。
さて、いよいよ玄室に入っていく。王が即位するとすぐに墓を作り始めるそうであるが、すぐに亡くなったため壁画を施す時間がなかったため、通路はシンプルで壁画はない。しかし、玄室は素晴らしい壁画に飾られ、その中央に石棺と黄金の棺が横たわっている。その中に今もツタンカーメンのミイラが入っているという。なんとも感慨深げである。ちなみに、実際にはミイラは三重の棺に入れられ、石棺に入れた後、また三重の厨子に入れられる。そのため、玄室は棺のサイズに比べて非常に大きいのだ。そして、その一部の棺や厨子、そして黄金のマスクは、今ではカイロの考古学博物館に展示されている。たった1分程度の時間で1,400円は高かったかもしれないが、仕方がないと言えば仕方がない。
帰り道、お土産屋が並ぶ通りで置物を片手にワン・ダラーと言っているおっちゃんがいた。一ドルなら安いよなぁと思って話を聞いてみると、黒い石の置物が三つでUS$100だという。おまえそれしか持っていないのに、ワン・ダラーはなんだよ。これは単なる客引きの言葉で、商品が一ドルという意味では無いようだ。三つもいらないから、一個でいくらか聞いてみるとUS$30だそうだ。バカ、一個あたりの値段が安くなってるぞ。でも、そんな高いわけないからUS$10でどうだと言ってみる。あぁ、それでいいよと言ってUS$10を払おうとすると、やっぱりUS$20とか言う。それならいらないと言うと、置物を手渡して返させないようにする。懐に入れ返したりするが、鞄の上に置かれたりして、まったく戦いである。結局根負けしてUS$20で購入してしまった。どうみてもUS$10が良いところだよなぁ・・・。こんなことを歩きながらやるのだから、困ったことだ。

次に向かうのは、ハトシェプスト女王葬祭殿である。ガイドのホッサンさんは、「難しい名前ですね〜、だからはっちゃんと呼びましょう」と言っていた。はっちゃんは、トトメス2世の側室だったが、トトメス2世の死後、幼かったトメトス3世の後見役として摂政を行い、なんと自らファラオになってしまった。エジプト初の女王であり、唯一の女性の王様である。鎌倉時代の北条政子のような人物だったのだろうか。その権威を見せつけるためにも、様々なものを造らせ、それらが今も残っている。ピラミッド・コンプレックスと同じくミイラを作成した葬祭殿がここであり、保存状態も良く残されている。そして、山を越えたところに王家の谷がある。
ガイドは中で説明ができないと言うことで、バスを近くに停めて説明した後バスを降りる。ちなみに、ルクソール事件の舞台はここであり、中に入るときの荷物チェックがかなり厳しかった。ここまでは、金属探知機が鳴ろうがなにしようがお構いなしのところが多かったのに、ここでは鞄を開けて中をチェックするなど厳しかった。広場の部分は電気自動車が走っているのだが、またしてもたいした距離ではない。それよりも、何段にもなったテラス、柱廊に立像も素晴らしいし、壁画もすばらしい。

そして気温はぐんぐん上がって、ついに46.8度を記録した。太陽の光を遮る物が何もなく、反射もすごいことから今回一番辛い観光ポイントはここだろうと思っていたが、予想通りだ。王家の谷もすごい暑かったが、日が昇ってきたせいもあって、王家の谷よりも格段に暑い。かなりこの二カ所でへべれけになった。バスに戻って、もうダメ、これ以上歩けない。
でも次は、トイレ休憩もかねてアルバスターのお土産屋だったので、直射日光下でないから何とかなる。アルバスターとは雪花石膏とも呼ばれる現地の石で、縞模様がきれいな石。これの加工を実演してくれた後、お土産を紹介してくれる。ここがまぁよくありがちのぼったくりのお店で、最初の言い値が非常に高い。さっき歩きながら買わされた物と同じ置物が、倍の$40とは。こりゃ、言い値の3割はかたいぞ。3割引ではない。
中にライトを付けたアルバスター製のピラミッドは、最初の言い値が$30だったが、あまり欲しくなかったので、$10なら買うよと言ったら、だんだん下がってきて、結局$10(1,150円)にまでなった。こういった連れて行かれるお土産屋も、十分世間相場を知っていないとぼったくられる。ちなみに、このランプはコンセントが付いていなかったので、日本でコネクタなどを買って自分で作成しなければならなかった。

これでもうお昼だろうと思ったら、もう一カ所メムノンの巨像へ。写真だけというから、力を振り絞って降りよう。最初はアメンホテプ3世の葬祭殿がその像の後ろにあったそうだが、後の王が石材として切り出してしまったため、今では立像しか残っていない。本当はここを最初に訪れて、意気揚々と王家の谷などに入っていくのだろうが、この暑さでは少しでも早く暑いところをこなしておきたいという考えで今の時間に訪れたのだろう。みごとなツアー日程だ。
これにて午前中の観光は終了である。本当にお疲れ様だ。お昼は本当は地元料理のハト料理のはずだったが、鳥インフルエンザ発生のため、普通の肉料理だった。火を通していれば鳥インフルエンザは問題ないはずだが、まぁ旅行会社が勧めることはできないということだろう。ビールは地元のビールだろうか、ルクソールビールだった。

午後の観光は東岸で必ず訪れるカルナック神殿である。そのカルナック神殿はいくつかの神殿からなっているが、これから向かうのはエジプト一大きいアムン神殿である。古王国時代にはファラオ自体が神だったが、この新王国時代はファラオとは別に神が存在した。中王国時代の太陽神ラーとテーベの地方神アムン神が融合して、国家の最高神となった。その神を奉る神殿がここで、一番の見所はファラオや一部の神官しか入れなかった大列柱室である。柱自体のレリーフも素晴らしいが、その柱の数も目を見張る物がある。

ここには相も変わらずラムセス2世の遺跡が多数存在しているのだが、それがわかるのもカルトゥーシュと呼ばれる王紋である。縦長の丸い輪の中に、当時の象形文字であるヒエログリフでファラオの名前が刻まれている。ラムセス2世は、他の王が作ったものまで自分のカルトゥーシュを彫ったとも言われており、ここの柱は特に深くそのカルトゥーシュが刻まれている物が多い。次のファラオに自分がやったように盗まれないようにするためだったとか。

その奥に、はっちゃんの立てたオベリスクがある。オベリスクとは花崗岩の一枚岩で作られた、記念碑のような物である。先端部に三角錐のピラミッドがあり、太陽神のシンボルとされていたらしい。実はトメトス3世がファラオの座に付くと、継母であったはっちゃんの偉業をミイラも含めてことごとく壊していったそうであるが、ここのオベリスクだけは壊せなかった。なぜなら、ここは神のいる場所で、たたりを恐れたそうである。そのため、オベリスクが見えないように周りを岩で囲ったそうで、その名残が石の日焼けにくっきり現れているのが見える。
午後になって気温はさらに上昇しているはずであるが、さすがに日陰もあって午前中ほどの気温まではいかない。それでももちろん40度は楽に超えている。聖なる池の近くにアイスを売る売店があって、飛ぶように売れていた。その池の近くには、3回回ると願いが叶うというスカラベ(ふんころがし)の像がある。このスカラベは、お土産でも置物や首飾りによくみかける。フンを転がす姿が太陽回転に見えるそうで、神様の化身と言われている。
一通り見て回るだけでも時間が足りない。これがツアーのつらいところ。バスの集合時間にどうやら1分くらい遅れてしまいそうだ。しかし、暑さでまいっており、もう走ろうという気力もおきない。少し早歩きでバスへ向かうが、まだ遅れている人がいた。暑さもあるが、自由時間が短すぎると言うこともあるだろう。これでホテルに戻って休憩だ〜と思ったら、最後に貴金属のお店に連れて行かれる。18金のカルトゥーシュを作ってくれるのだという。ツタンカーメンやラムセスなどのヒエログリフの裏に、自分の名前を対照表から作成したヒエログリフで彫ってくれるというのだ。18金がどうしても欲しいなら、ここで買うのが間違いはないと思う。女性はこういうところでは目の色変わるが、男どもはさっさと外に出て他の店を冷やかして回ったりしていた。
これにてやっと本日のツアーが終了である。午後は一つしか観光していないのに、すでに15時半になっている。朝早く出てきたものの、お土産時間が多く取られていたので、結構遅くなってしまったようだ。実は今日の行程はまだ終了していなくて、夜神殿のライトアップを見に行くのだ。夕食の集合時間は18時半。それまで3時間の休憩となる。荷物を置いて窓の景色を見てみるが、ナイルビューとは言えない寂しい景色。確かにナイル川は見えるのだけど、ホテルがコの字型になっているので、目の前の川しか見えず、プールが視界に見えるだけ。これだけ時間があればプールで泳いでもよさそうだったが、水着を持ってきていなかった。寝ているだけはもったいないので、体力も回復してきたことだし、町をぶらぶら散策することにした。

町中からかなり離れているのでめぼしい見所はないが、この辺りは高級リゾート地のようで、売店やお土産屋はたくさんある。昨日の夜に両替したUS$50は早くも底をつき、銀行で両替しようと思ったら、ホテルには無かったので目の前の銀行を訪れるがやっていない。少し歩き回るがどこもなぜかやっていない。実はやっていたのだけれど、個人経営みたいな売店のような銀行が多かったので、やっていないように思ってしまったのだ。
さんざん町を行ったりきたりしたあと、ホテルの隣の銀行がやっていて、アタッシュケースのお札で両替をしてくれた。水は目の前の売店で3£E(60円)。観光地価格としては、まぁ致し方がないところか。売店でビールを売ってる!と思ったらノンアルコールビールで、コーラと同じ5£E(100円)だった。
夕食はホテルの反対側の通りのバイキング料理。バイキング料理の後はお腹の調子がよろしくないことが多く、慎重に食べ物は選んだ方が良いようだ。なんだかよくわからずに食べた、熟していないマンゴーがやばかったかもしれない。大人数でおしかけて、冷房をがんがん入れていたものだから、ブレーカーが落ちたらしくて急にサウナ状態に。汗だくの中夕食を食べることになってしまった。
本日の最後をしめるのはライトアップされたルクソール神殿である。19時に到着したときにはまだちょっと明るさがあったが、すぐに真っ暗になった。ここのためだけにわざわざ三脚をもってきたのであるが、三脚持ち込み料を請求される。メキシコでもあったが、この国もそんなことしてるのか。入場料と同じ20£E(400円)だったので、まぁ大した額ではないと素直に支払う。ここは午後に行ったアムン大神殿とスフィンクスの参道でつながっていたそうであるが、今では知らずに壊されてしまって、普通にその上に町が出来ている。確かに、翌日空港へ向かう道からスフィンクスが並んでいる参道をみかけた。

ルクソール神殿の入り口には、オベリスクが二基立っていたそうであるが、一つはなんとフランスに譲渡してしまったそうで、今ではコンコルド広場に立っている。なるほど、確かに普通はなにかの像が上に載っているのに、コンコルド広場には雰囲気の違う物が立っていたような気がする。で、そのお礼にエジプトは時計台をもらったそうであるが、すぐに動かなくなってしまったとのこと。

カルナック神殿と同じような雰囲気を持ちながらも、ライトアップされた神殿はぜんぜん雰囲気が違って見える。が、スフィンクス同様、この神殿からはマクドナルドが見えるので、あまり景観としては良くない。こちらはラムセス2世像があちらこちらに立っており、よく写真で見かけるルクソールと言ったらここなのだなぁと思う。そして、壁画のようにレリーフが素晴らしい。長い長い一日であったが、見所豊富であまり長丁場とも思うこともなく、疲れが出る前に最大の目的である二つを完了出来たことは、このツアー日程で良かったと思った。
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