'01夏 タイとマレーシアへの旅 その03 - アユタヤ

8月6日(月)
Bangkok8:35 10:20Ayutthaya
アユタヤ(ワット・ラーチャブラナ, ワット・プラ・マハタート, ワット・プラ・シー・サンペット, ワット・ロカヤスタ, ワット・チャイワッタナラーム, ワット・ヤイ・チャイ・モンコン)
Ayutthaya18:35 20:10Bangkok

今日はアユタヤまで日帰りである。列車で1時間40分程度の距離なので、十分日帰りができる。日本人は、バンコク発のバスのツアーで行く人が多いようである。朝8時35分の快速列車でアユタヤへ。3等ではなんと15B(45円)という超破格値。BTSは数駅で20Bだったのに。タイ国鉄では日本のお古車両のオンパレードで、キハ58や12系客車など、まだまだ現役で利用されている。今回乗車した車両は、ヨーロッパでよく見かけた車両中央をトイレで仕切って、2等と3等にわけたものであったが、すべてが3等という車両もあった。

日本人がかなり多く乗っており、男どもならいざしらず、お姉ちゃんグループも乗っているのには驚かされる。あまり見所がある国ではないと思うし、汚いところも多い。清潔好きの日本人女性にとっても、タイとは魅力的な国なのだろうか?そういえば、泊まっているホテルは日本人御用達というだけあって、朝食の時など日本人だらけで驚いたが。

快速といってもかなりの駅に停まるほとんど鈍行列車で、車両の調子が悪かったのか、ファランポーン駅で10分くらい前後を繰り返してから出発したので、その遅れを最後まで引きずり、アユタヤ到着は10時半過ぎ。日本人お姉ちゃんグループは、アユタヤ予定到着時刻に到着した遙か手前の駅で降りていったが、大丈夫だったのだろうか?駅を降りたところでレンタサイクルがあったので、そこで自転車を借りる。一日たったの30B(90円)。列車に比べると倍の料金だが、日本円の感覚では、500円くらいでいいお値段である。

ワット・ラーチャブラナ

橋を渡って遺跡のたくさんあるポイントへ向かう。アユタヤは、室町時代から江戸時代のあたり、1350年から400年にわたり栄えた王国。日本でいうなら京都のようなところといえよう。ただ、ビルマ軍の侵攻により、ほとんどの建物、仏像が壊された。建物はほとんどが木製であったため、現在では土台が残るだけとなり、仏像が雨ざらしで取り残されている。首のない仏像が、数多く囲っていて、一種異様な雰囲気が漂っている。ワット・ラーチャブラナは中央にそびえるプラーン(クメール式仏塔)が立派であるが、その周りの寺院はすっかり廃墟と化している。その塔の中にはりっぱな壁画が残っており、急な階段を降りて行ってみることができる。なにが書かれてあるのかわからなかったが、雰囲気はつかめよう。

ワット・プラ・マハタート

そして、隣のワット・プラ・マハタートへ。こちらも廃墟が残るのみであるが、首から上だけ切り取られた仏頭、木に取り込まれてしまった仏像などがある。こちらは歩き方には無料と書かれていたが、入場料をとるようになっていた。これから至る所で入場料30Bがくりかえされ、安いといいつつも、数が続くと結構な額になる。たかだか500円程度ではあるが、これで屋台の食事がかなりの回数できることを考えると、やはり高い。しかも、入場券をくれない。おばちゃんたちの懐へ消えていくのかなぁと思いつつ入場していた。

入り口では、基本的な仏像にさわるなとか、よじ登るなとかに加えて、首のない仏像に顔を出して写真を撮るなとある。また、仏像の頭が木に覆われているところでは、仏頭の上に載るなと書かれてある。外国人には仏像は単なる物としか感じていないようであるが、仏教の国の日本人でもそんなことをやっている人がいるそうで、がっかりする。でも、日本の仏像とタイの仏像は、なにか雰囲気が違ううえ、雨ざらし状態では、ちょっと日本の仏様とは違った感じを受けなくもないが。それより何より、タイに来てまで公衆の面前で化粧は辞めて欲しい。

ワット・プラ・シー・サンペット

塔が3つみごとに並んだワット・プラ・シー・サンペット、黄金の仏像のあるヴィハーン・プラ・モンコン・ボピットを見てから昼食とする。その近くには、おみやげ屋とお食事どころ(屋台)が軒を連ねており、観光バスも立ち寄る場所。値段も観光地価格で少し高めだが、良心的。日本人には、屋台の食事はだめなのか、ここではまったく見かけなかった。

次は仏像が寝ているワット・ロカヤスタ。しかしここで先ほどからごろごろいっていた空模様が、ついに土砂降りの大雨になった。しかもスコール状態が長い。そろそろやむだろうと出発しても、また降りが強くなり、いつまでたってもやまなくて、完全ずぶぬれ状態。そんな中自転車で走り続け、やっと雨もあがったところで、アユタヤの島を離れ、南西にあるワット・チャイワッタナラームに到着。ここまで来る人は少ないようで、中を歩いている人も少ない。クメール様式のプラーンがみごとで、なんともすばらしい。相変わらず、首のない仏像が取り囲んでいる。

ワット・ロカヤスタ

ここからは帰り道。スリヨータイ王妃のチェディ(仏塔)をみて、雨もやんだことだし、もう一度寝ている仏像を見に行き、エレファントキャンプでは象の写真を撮ったりして、これにてこの遺跡群からおわかれである。エレファントキャンプでは、象に乗ることができる。

駅に向かう前に、南東にあるワット・ヤイ・チャイ・モンコンへ。ここは奇跡的に破壊から助かったのか、ただ単に復旧作業が進んでいるのか、塔の周りを取り囲む仏像の首はすべてある。こう並ぶと圧巻である。また雨がぱらぱら降ってくる中、無事アユタヤの駅へ戻ってきた。自転車屋が18時までということだったので、その時間を目標に走ってきたが、17時過ぎには到着した。

列車の確認をすると、なんと次の列車は18時35分。1時間半もある。しかし、本当は17時52分の列車が遅れていたのだった。購入した切符は18時過ぎの発券で、18時前の出発時刻がかかれてある切符で、不思議な物になっていた。こう時間があるなら、駅前の屋台で腹ごしらえ。5Bの焼き鳥がうまい。3本も食べてしまい、麺も適当に頼んで食べる。もう、夕食はこれでOKかな。

さて、列車がくるたび、地元の方々はホームの反対側へ行って待っている。なぜかなと思っていると、ドアはどちらも常にオープンで、降りる客は駅舎に近い方に降りるので、反対側からすぐに乗り込むことができる。列車がきていようとも、線路を縦横無尽にわたれるからこそできる技か。18時には王室賛歌が流れる。朝もファランポーン駅で8時に聞いたのだが、またしても全員起立で曲を聴く。外国人は皆?という感じで見守るが、公共の場所ではこうして朝晩賛歌が流されるそうである。

さて、自分の乗る列車がやっとやってきた。戻りは2等車にしてみたのであるが、なんと料金は5倍で75B(225円)。超破格値から超がはずれたくらいでまだ安いが、グリーン車に乗る程度で5倍の料金は高すぎる。2等車は座席が指定されており、11号車は・・・と探してみるが、号車番号が書いていない。前の方は2等車がなかったから、後ろへ行くと、営業していない食堂車もつながっており、その後ろに3等車と2等車の車両が。しかし、あいかわらず車両番号がわからず。一番後ろまで行くと、かろうじて13号車の記述。ということは、2両前ということか。しかし、その11号車は全席3等だったではないか。

結局、12号車の適当な席に腰を下ろし、検察の車掌に言うと、どこでもいいから座れとのこと。適当さ大爆発である。2等車といっても、ボックスシートが壊れたリクライニングシートに変わっただけで、エアコンもなく、5倍の違いはまったく感じられなかった。ただ、確実に座れるという保証だけだった。

定時は遙かに越えていたが、20時10分到着の予定通り、バンコクファランポーン駅に到着した。駅前から通りにかけて、屋台が数多くでまわっているが、すでに夕食は食べてしまったし、もう一回食べるほどではないなと思い、そのままホテルへと戻った。


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