'08夏 インドへの旅 その05 - デリー

8月5日(火)
デリー(鉄道博物館, プラーナー・キラー, インド門)
NewDelhi20:35 SWATANTRTA S EX 2562

昨日は夜が遅かったので、遅くまでごろごろしているが、行くところが特にないというのもある。今日すべき事は、ヴァーラーナシーから帰ってくる飛行機の予約と、飛行機が取れればデリーのホテルを確保することだけ。夜の20時までなにをすればいいのやら。

コンノートプレイス

まずはいつもの食堂で朝昼一緒のブランチを食べ、コンノートプレイスまで歩いていく。一昨日は暗くなる中、黙々と歩いていたのだが、今日はゆっくり散策できた。英国統治時代に作られた町並みで、丸い広場を中心に三重のサークルが取り囲んでいる。英国風の建物も残っている。まず向かうのは、地図の中から見つけ出したインディアン・エアライン。そのあたりを二度三度と往復するが、なんとエア・インディアの窓口でインディアン・エアラインのチケットも買えるようだ。

コンノートプレイスは、どこの店でも入り口には警備員が立っていて、ここでも用件を伝えて番号札をもらって中に入る。が、客はほとんどいなかった。特に問題なく、普通に飛行機はおさえられた。しかし、オンラインで確認していたときは数千円だと思っていったが、実際には一万円を越えていた。早割か何かで安かったらしい。しかし、これでも購入時にキャンセルは出来ないチケットだと念を押された。夜行列車は3千円くらだから、飛行機は4倍もする計算になる。最後にインドによくありがちな、現金を取り扱える窓口に行き、チケットを受け取るシステムだった。

予定通り飛行機をおさえられたので、近くのアルカホテルを予約に行く。当初デリーのホテルはここにしようとオンライン予約を始めたホテルだった。基本的にホテルが満室ということはないので、特に問題なく予約完了。この時点でカード支払いさせられた。またしてもキャッシャーが別になっていて、インドではこのシステムが普通なのだろう。前にも同じようなシステムを見たのは中国だった。今日のホテルに比べると、5倍もするRp3,000(7,500円)料金であるが、最終日一泊だけだからこれもよかろう。

さて、12時半とまだまだ時間がある。と言っても行きたいところも特にない。というわけで、ぱらぱら歩き方を見ていて見つけた鉄道博物館へ行くことにした。かなり遠いし道もよくわからない。暇そうにしていたリクシャーに声をかけて鉄道博物館知っているか?と聞くと、知っているというので乗っていくことにした。Rp100(250円)とはなかなか高額であるが、まぁ仕方がない。

大統領官邸の後ろの道を進み、ちゃんと方向はあっている。コンノートプレイスから20分くらいはかかっただろうか。やはりかなり遠かったが無事到着した。降りたら間髪入れずに代わりに外国人がリクシャーに乗っていった。暇暇していたのに、一往復でたんまり稼いだことだろう。中に入ろうとすると、なんと30分の昼食休憩ということでチケット販売所が閉まっていた。でも、親子連れが入っていくところを見ると、ここでチケットを買わなくても入れるようだ。すぐ横のゲートの所には人が立っていて、チケットもぎりをやっていたが、チケットが買えないというと現金払いで通してくれた。そのまま懐に入っていくことは間違いないだろう。

鉄道博物館

さて、鉄道博物館はと言うと、広い構内の公園に、いくつもの機関車が置いているだけ。インドの鉄道をよくわからない身としては、さっぱりわからない。鉄道博物館というよりはちょっとした遊園地で、子供向けミニ鉄道が走っていたりもするが、平日昼間なのでお客は本当に数えるばかり。一時間くらいいた中で、たった一回しか走っていなかった。申し訳程度に室内に歴史や鉄道路線図があるが、それが鉄道博物館らしいと言えばそれくらい。あんまりおもしろくないまま、帰路に向かう。

プラーナー・キラー

帰りはもしかしたらリクシャーを捕まえられないかなと思っていたが、案外あちこちに暇暇しているリクシャーはあった。帰りも同じくRp100(250円)。もう仕方がない。今度は、ラール・キラーよりも古い城であるプラーナー・キラーに向かう。ラール・キラーと比べてみたいと歩き方には書かれていたが、比べるまでもない。はっきりいって行く意味ななかった。広い広場に転々と建物が建っているだけだった。

大統領官邸

インド門はすぐ近くだと思ったので、歩いていくことにしたのだが、道を間違えたりしてけっこう時間がかかった。だが、プラーナー・キラーの近くに名もない遺跡を発掘している場所があった。そのうち観光地として整備されるのかもしれない。インド門をかすめて、今日は大統領官邸まで行ってみる。インド門からまっすぐな道が続いている。一昨日途中で挫折したのだが、行ってもたいしたことはなかった。デリーの観光地と言うと、やはり世界遺産くらいしかないようだ。

少し戻って地下鉄で帰る。日本の援助で作られた地下鉄である。切符は窓口で駅名を伝えると、磁気コインがもらえる。これはsuicaのようなもので、ゲートにかざして入場し、出るときにコインが回収される。タイに比べると案外安い。ただ、改札の前に必ず荷物チェックがある。鞄を開けて中を見るくらいの簡単な物だが、毎回これをやるのはめんどくさい。

地下鉄のニューデリー駅は、国鉄の駅の反対側にあり、歩道橋を渡って反対側に行かなければならない。今日は特に観光というより、ぶらぶら散歩をしたといった感じ。宿に戻ってまたビールを飲み、シャワーを浴びて出発準備を整える。いやはや、最初はぼろい部屋だなぁと思った物だが、4日も入ればすっかり慣れた。チェックアウト時には、一泊Rp650(1625円)と言われるが、昨日Rp625(1562円)って言われたんだけどと言ったらすんなり安くなった。歩き方の読者割引がこの額のようだが、誰でも安くしてくれるようだ。

チェックアウト時間は自分で決められるのだが、早めに出発する。夕食を食べるためだ。いつもの店はスルーして、今回はインド名物でもあるタンドリーチキン。ハーフサイズを頼んだはずが、かなり量があるなと思ったらフルサイズで、付け合わせの野菜まで追加料金を取られていた。いつもの3食分くらいの値段でぼったくりされまくりといった感じだが、闘うのもめんどくさいのでそのまま支払う。

ニューデリー駅前のうざったるい客引きを交わし、発車番線を確認する。一時間前くらいになると電光掲示板で列車番号が表示されるので、その番線に行けば良い。8番線ということで、広い構内を高架橋で渡って行き、ホームで8番線の列車番号を確認する。ホームに降りるとこれまたすごい人で、回送列車がまだ停まっていた。しばらく待って、車両乗車位置が表示されたら車両番号を探してみるが、前にも後にも見当たらない。長すぎて電光掲示の表示がある位置を越えてしまっているらしい。

橋の上の出発案内に車両番号が書いてあったので確認すると、前の方だった。暑苦しい中、長いホームを一往復半もしてしまった。ちなみに、総客車数24両。冷房寝台は二段式と三段式の一両ずつしかないが、冷房無しなら12両もある。そして、座席車には帰省ラッシュを思わせる長い列ができていた。整然と列を作るところは中国人とは違うところだ。

AC二段式寝台車

列車が入ってきた。安全をみて、二段寝台のほうにしたのだが、冷房寝台の中でも二段寝台はさらにお金持ちが乗る車両である。ちなみに、もっと安全な一等個室寝台もあるが、満席だった。広軌の寝台車らしく、よくありがちな向かい合わせの二段寝台とは別に、通路側に線路に沿って上下寝台がある。寝台車でこんな構造初めてみた。

向かいの席の二人のおっさんはビジネスマン風で、インドで腹が出たおっさんを見たのは初めてだった。金持ちレベルは、腹の出具合で分かる。携帯電話を二台も持ち、ヴァーラーナシーよりさらに先、パトナーまで行くそうだ。昔の日本でも、東京から鹿児島まで夜行列車で行っていたくらいの感覚だろう。インドでは飛行機がまだまだ高い乗り物だからこそだ。

列車は定刻に出発した。ほどなくして、毛布、シーツ二枚、枕、タオルが配られる。寝台はまだ作られていないが、倒すだけでよいのでみんな勝手に作っていた。夕食はすでに食べてきたので頼まなかったが、ベジタリアンしかなくてRp130(325円)だそうだ。食事はかなり遅く届き、頼んでいたおっさんたちは、すっかり寝に入っていたところで渋々食べていた。さっさと眠りにつきたいが、いろいろな物売りが数分おきに現れる。チャイ、チャイといって紅茶を売るのが多いが、コーヒーなんかも売っていた。


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【目次】
出発準備編
出発
デリー
アーグラ
デリー
ヴァーラーナシー
ヴァーラーナシー
帰国