'98冬 冬の韓国・食と鉄道の旅 その05 - 江陵

12月30日(水)
Mugunghwa319 7:33江陵
江陵(烏竹軒, 東海)
江陵14:10 Mugunghwa316 20:45清凉里
大祐旅館

朝目覚めると列車は逆向きに走っていた。この列車は近道の山岳路線を走らずに遠回りしているため、途中駅で方向転換が必要になっていたのだ。韓国で一番長距離を走る列車であるが、江陵(カンヌン)到着は7時半である。あわただしく身支度をすると、もう江陵に到着した。江陵はホームが一面しかない小さな田舎駅で、隣のホームにはセマウル号が停まっていた。

江陵駅

ここ江陵は韓国では有名な雪岳山(ソラクサン)への玄関口である。多くの登山の格好をしたおじさんやおばさんが、列車が到着するたびに駅からどどっとあふれ出る。この寒いのに、物好きが多いものである。こんな田舎まで来ると、そうそう日本語で話しかけられることもなく、しきりと韓国語でタクシーに乗らないかと勧められるが、雪岳山に行くわけもなく、もちろん無視する。

まずは、腹ごしらえに駅前の食堂に入る。あまりにもメニューが豊富な食堂で、選ぶだけでも一苦労であるが、朝から辛めの料理にはしたくないので、カルビタンを注文することにした。タンはスープという意味で、淡泊なスープにカルビが入った料理。これ自体は辛くはないが、キムチが辛かった。辛い物ばかりで、そろそろおなかが火を噴きそうだ。

朝食が終わったら何をするか。もともと寝台列車に乗るためだけに来たこともあり、特に行きたいところはない。駅でぼーっとしているのはもったいないので、歩き方に載っていた観光地らしきところに行くことにした。まずはバス停を探したいところであるが、何番のバスが通るのかわからない。こうなったら、少々離れているがバスターミナルまで行くしかあるまい。

北風が吹き付ける中、30分ほどかけてバスターミナルまで歩いていった。ここは高速バスが発着するバスターミナルである。ソウルまで列車で6時間強かかるところ、バスで4時間だし料金も安い。目的のバス停には、ハングルで烏竹軒(オジュッコン)の文字。バスも歩き方に書いてあるとおりの19番。これで問題あるまいと思って来たバスに乗り込むと、今来た道を駅まで戻っていった。

そしてマンションが建ち並ぶ一角にあるバスの車庫に着いて終点となった。系統が同じでも、逆方向だったらしい。仕方がないので、逆方向のバスが来るまでそのまま待つ。周りにはコンビニもなければ何もない。本当にバスの車庫だけしかない。時間つぶしも何もできず、しかも間が悪いことに、バスが着いたときに丁度バスが出発していたので、結局20分くらい待たされることになった。

やっとのことでバスに乗車し、乗り間違えたバスターミナルまで戻ってくると、バスターミナルを挟むように同じ系統のバス停があった。まるっきり建物の反対側だった。それならオジュッコンなんて書かないでくれよと思ってもあとの祭り。それから20分ほどで目的地に到着した。5,000won札にも描かれている李珥の生家である。日本でいうなれば、聖徳太子の生家と言えよう。

烏竹軒

やたらに韓国人カップルが目立つ。韓国人にとっては、今日は休みでないはずだが、冬休みなのだろうか。5,000won札と同じアングルで写真を撮り、ぶらぶらのんびり散歩をする。素朴な感じと、人がぱらぱらしかいない状況で、のんびりした気分になれる。韓国語で何が書かれているかわからないが、見応えはある博物館も見学したあと、またバスに乗り込み、海へ向かう。

終点のバス停から、徒歩数分で海に出る。ここは、日本では日本海、韓国では東海(トンヘ)とよばれる海である。冬の日本海らしく、荒々しい波がたっていた。北朝鮮に近い海岸にあって、ここだけは鉄条網もなく、いたって普通の海岸であった。フィルムを売る立ち売りのおじさんがいたり、観光客も多く、写真を撮るのも全く問題なかった。

東海

バス停の回りには食堂が並び、ここの名物といえばイカの刺身。全ての食堂にはいけすがあり、その場でさばいて食べられるようになっている。イカは韓国語で何というのだろうかと調べてみると、オジンオと判明した。よくよく見れば、どこの食堂の看板にもオジンオと書いてある。さすが名物だけはある。しかし時間が無くなってきたので、イカはあきらめて鏡浦湖を横目に歩き、鏡浦台(キョンポデ)に向かう。

このあたりは関東と呼ばれ、鏡浦台は関東八景の一つでもある。バス停を二つ分歩き、丘の上に建つ建物に到着した。これが鏡浦台らしい。ここではなぜかスルメをたくさん売っていた。坂を登るところにおまけ程度に建物が建っていて、入場料を取っている。しかし、たったの200won(20円)。だが入場料を取るほどのものは何もなく、お寺のような建物が一つあるだけ。展望もあまり良くない。

鏡浦台

これが関東八景の一つかと思ってしまうが、目の前の枯れ木は全て桜のようで、春になるとすばらしい景色になるのだろう。近くのバス停からバスに乗り、駅まで戻ってきた。なんとか昼食を食べられる時間があったので、朝と同じ食堂でまた昼食とする。オジンオ関係の食事をしようと思い、頼んだ料理はオジンオボックム。ボックムは炒め物。つまりイカの炒め物だが、相変わらず辛い味付けになっている。

ヒーヒーいいながらなんとかたいらげた。これからムグンファ号でソウルまで戻る。夜行列車に乗るだけが目的だったら、江陵からすぐに折り返せば良かったのだが、お昼過ぎの列車にしたのには、最初は理由があった。それは、韓国内で唯一の電車ムグンファ号に乗るため。日本の特急型電車485系に似たその列車は、清凉里駅と東海駅(江陵から列車で30分ほど)間を日に一往復していたのだった。

しかし、釜山で時刻表を購入したときに気がついた。その列車が江陵始発になっているのである。さらに食堂車がない。江陵で機関車付け替えのような長い停車時間がある。予定を変更するつもりはなかったので、そのまま切符を購入していたのだが、やはり嫌な予想は当たっており、普通の客車ムグンファ号だった。単純に車窓風景を楽しむだけの帰路となってしまった。

ムグンファ

東海駅ではディーゼル機関車から電気機関車に付け替えられた。その機関車は、フランスの電気機関車と全く同じ格好をしている。ここから清凉里間だけなぜ電化しているかというと、太白峠という難所があり、そこを越えるためには力のある電気機関車にする必要があったのだ。そこを列車で越えるのも、今回の江陵まできた目的の一つ。東海からは海に別れを告げ、どんどん山を登っていく。

そして、何もないところに停車した。どうもここからスイッチバックが始まるようだ。スイッチバックとは、標高差をかせぐために、行ったり来たりしながら山を登って行く方式である。箱根登山鉄道などでおなじみ。バックを始めたかと思うと、あっという間に今来た線路を眼下に見下ろすようになり、山の中腹へ。さらにもう一回のスイッチバックで、一気に山の上まで登りつめた。

最初に登ってきた線路もよく見えて、よくこんなに高いところまでこれたものだと感心するほど高度をかせいでいる。そして山奥の駅、鉄岩(チョラム)に到着した。駅の回りに建物はほとんどなく、こんな山奥深くでなぜか乗客が増え、車内は立客が出るまでの混雑ぶりとなった。全車指定席の列車であるが、指定席が完売の時は、立席切符が販売される。

ここで、後ろの席に座っていたおばちゃんが、なにやら切符を持って話しかけてきた。もちろん、韓国語である。自分が乗っていた車両は5号車であったが、2号車の同じ席の切符を見せて何か言っているが話が通じない。どうやら、家族で列車の切符を取ったが、一緒の場所にならなくて、席を変えてくれと言っていたようだ。まだまだ韓国語を理解するまでにはほど遠い。

スイッチバックを過ぎれば、外は真っ暗だし、列車が到着するのを待つばかり。車内は家族連ればかりで、あちこちで子供が騒いでいる。年末で日本の民族大移動と同じ状況らしい。ある家族連れが別の家族の子供たちに、お菓子をやるから静かにしろと言ってたり、なにかとにぎやかな車内だった。この列車は食堂車がついておらず、キムパップ弁当を売り歩いていたが、すぐに売り切れてしまった。

そして6時間半にも及ぶ列車の旅も終了し、清凉里駅に戻ってきた。いつものように、イゴルチュセヨ(これください)で切符をもらおうとしたら無効印を押された。宿の近くの食堂で遅い夕食にするが、ここはメニューが少なく料理名もよくわからない。トルソッビビンパブ(石焼きビビンパ)を頼むと、”いしやき”と店の人は言っていた。メクチュ(ビール)とビビンパを平らげると、宿に向かった。


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出発
釜山
慶州
移動日
江陵
帰国